急行仙山 入線

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本日の國鉄ニュースです。
昨年、御玉線に一度だけ試運転された國鉄ご自慢の急行型電車、455系電車が
本日より”急行 仙山”として運行を開始しました。
それにともない、これまであったりなかったりだった治山駅 駅舎も復活、
さらにホームも増設されました。

それでは恒例の地域住民と國鉄当局の一問一答です。

國鉄 「ちゃんと6両や」
住民 「ええやん」
國鉄 「せやろ。作並駅(旧)のイメージや」
住民 「跨線橋欲しいやね」
國鉄 「仙模に無し、ヨドもなし、阿部模は休み、ムンベはN弱いしな。今度や」
住民 「仙タム行けば?」
國鉄 「チャリダー相手に気軽に言ってくれるなぁ(怒」




さて、恒例の与太話は以上にして、以下は割と真面目っぽいお話。
web上において、仙山線、特に急行 仙山に関する記事が驚く程少ない事に驚く。
幼少の頃よく乗った仙山線ユーザーとしては悲しい事しきりであり、
何かのお役に立てばと書く事にする。

1977年~1980年(昭和52年~昭和55年頃)のお話。

叔母と祖母が山形に住んでいたので、仙山線はよく乗ったのだが、
そのころから仙山線と言えば455系の印象しかない。
時期的には旧型客車も走ってたはずで、おそらく乗ったと思うのだが、
母や叔母・祖母は主に急行を使ったらしく、仙山線と言えば”急行 仙山”(のちに快速 仙山)だった。
ほとんどが普通車だったが、サロ455(グリーン車)には1~2囘乗った。
座席がリクライニングしたかは記憶にない。が、座席はペダル踏むと回る転回式だったのは覚えている。
それとこれはいくら検索しても出てこないのだが

急行 仙山には車内販売があった。

本当だぞ!
だってサンドウィッチ買って貰ったもの。あの時のサンドウィッチは極上の味がした。
そのせいか今でも車内販売のサンドウィッチは好きである。

この車内販売、私が大きくなる頃の記憶にはないので、おそらく1980年頃以降に廃止になったのではなかろうか。

そうそう。Wikipediaの面白山信号場の記事読むと、昔は面白山信号場での交換が当たり前みたいな書き方だが、私の記憶では作並駅での交換の方が多かったと思う。
なので作並駅では長時間停車が当たり前であった。長時間といっても子供の時間感覚であるから、実際には5分程度ではなかろうか?
で、その作並駅(旧)だが、1番線ホームに湧水?みたいな水飲み場があったのとてもよく覚えている。
毎回毎回、作並で交換のため停車する毎にそれを見て「飲みたいなぁ」と思ってたのだが、幼少の頃の私は

もの凄いヘタレ

であり、「飲みに行っている間にドアが閉まったらどうしよう」という恐怖の方が強かったのだ。
結果一度も飲めずじまいで、駅舎も新しくなった現在、この水飲み場?らしきもの無いようで、私にとっては”幻の水”になってしまった。

最後は郵便車の話でも。
仙山線にキユニ28が走っていた可能性がある。
山形から仙台に帰るとき、乗った列車の先頭が郵便車だった。
その時の記憶は

・山形駅、午後。15時~16時頃。季節、春・夏・秋のどれか。冬ではない。
・窓に鉄格子があって、停車しているのにドアが開いていない不思議な車両

というもので、なぜか”455系郵便車”のイメージなのだ。
もちろん455系に郵便車は存在しない。
なんでそんな記憶になったのかというと、キハのクリーム色と455系のクリーム色がごっちゃになったと思われる。
先頭車というのは間違いないので、ED78+郵便車+旧客ではない。
とすれば該当するのは気動車。
急行 月山やべにばなにキユニをくっつけたか、普通車運用のキハにキユニをくっつけたか。

どなたか詳しい方がいたら是非教えていただきたいw

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